フラットインタビュー vol.12 利用者家族Nさん (中編)
FLAT STANDで出会い、しばらくしてから相談してもらう関係になり、ゆっくり少しずつ相談内容が個別具体のプライベートゾーンには入っていきました。 とはいえ、介護保険制度や行政サービスと接続するのがスムーズにはいかなかい現実に直面する。中編では、いつの間にかかなり突っ込んだ話にもなりつつ、制度や社会資源となかなか接続できないなかで、FLAT STAND界隈にいる看護師や、ケアマネ、福祉用具などのサービスメンバーが、関わり代を増やしながら、Nさんや父、母の声に耳を傾けながら、適時専門性をだしていくプロセスが感じていただけたらと。
N : ご利用者家族 / W : フラスタ管理人 和田 / S : ケアマネジャー末武
少しずつ受けれていく父と家族。
S : 前編では地域包括支援センターに行きつつも制度にはつながりそうでつながらないところから、少し別の角度から制度の入口を探ろうとしている中で、実際にお父さんの体調も気になる状況でLIC訪問看護リハビリステーションの黒沢を連れていこうと、こちらでは画策していたわけですけど…
N : ホントにあのときに来ていただいてよかったです。その数日後に救急搬送になったわけですけど、その前に少しだけ心の準備ができていたのは大きかったですね。父にとっても、母にとっても、入院してから自宅に戻るイメージが少しでも想像できたのも、あの1回の訪問で黒沢さんに看てもらえた時の信頼感が大きかったんだと思います。
で、入院してからも転院先や在宅に戻る戻らないで相談させてもらって…。
W : あ!バイクのメンテナンスにいっているときのファミレスの駐車場で21時くらいに電話しました!!
N : そうですよね!ホントすみません!
あの日、和田さんが黒沢さんを連れてきてくれて和田さんは階段の手すり取り付けの下見をしてくれていて、黒沢さんが父のことを看てくれていたんですよね、で、話は概ね終わり、私も外に送りにでて、そこで黒沢さんから「今のお父さんの状況は、概ねこういう状況である可能性が高いです」って言われて、泣きそうになっていたんですけど…。父はそういう家族の変化に敏感なので、「私はしっかりしないと」と思って家の中に戻っていったんですよね。
で、何かあとで聞いたのか、そのときに聞いたのかな、黒沢さんは元々救命救急の人だったって話とかもあって、きっと何か、看護師さんとかお医者さんとかって、端的に必要なことを伝えていかなきゃいけない職業の人だから、本当は何か言いたい事もあっただろうなと思うんですけど、でも、それ一言だけだったっていうのが、きっとそういう風に考えてくださったんだろうなって。ずっと心配してきてるっていう私たちの情報もいってるだろうし、っていうのもあって。で、家に入って、その後その日だったか忘れちゃったんですけどちょっとあとに、父が黒沢さんにこう触れてもらって看てもらってっていうのがあったからだと思うんですけど、「これ、見てもらえないよな」って父がつぶやいて言ったんですよ、健康診断の表みたいなのを持って。
私はもうその黒沢さんが来た時は、何かもう「父が閉じないように」ってことばかり考えてたんですよね、確か。でも黒沢さんがすごく柔らかい感じで何かお話しながら状態を看てくれて。家族としては、やっぱり看てもらえたっていうのが、すごい安心でした。やっぱり安心感があってすごいありがたくて。で、父を検査などで病院に連れていくのが難しいんだったら、お医者さんも看護師さんも来てくれえるって聞いたときに、「あ、それがあったんだ」と改めて思って。でも、あとで考えたらずっとそこにいたんだよね、みたいな感じでしたね。
W : そうですよね。私もその場にいっしょにいましたけど、黒沢もどのくらいの情報を、どのくらい渡すかっていうのはかなり考えながら言葉を選んでましたよね。どのぐらいのトーンで伝えるかっていうのも含めて。彼は特にその場のことだけでなくて、この後どういうことが起きて、どういう場面が待っているかも経験上わかってしまうので…

救急搬送からの転院。そしてご自宅へ
S : 私たちが訪問させてもらった数日後に救急搬送されて。そこから転院し、「この先どうするか」って中で家族とも本人とも話をして、「自宅に帰る。帰って暮らしてみる」って決めましたよね。もちろん家に帰るだけが選択肢ではないし、何がいい悪いってことでもないんですけど。私たちは、自宅でも過ごせる選択肢や可能性みたいのはやっぱりつくっておきたいし、つくれてよかったなぁと思いますよ。
で、実際にようやくここから介護保険制度や医療保険制度でも私たちとの関わりがはじまるわけですね。
N : そうですね。さっきも話がありましたけど、相談もさせていただきました(笑)
自宅へ戻ってきてからも少しずつケアマネジャーの末武さん、LIC訪問看護の黒沢さんはじめ、みなさん、そして和田さんに関わってもらいながらなんとか自宅での生活がはじまって...
S : 訪問看護で体調管理しながら、訪問リハビリではベッドから車いすに座って…歩くことをずっと目標にしてましたもんねー
N : たぶんその、「歩く」っていうのは、「母と並んで歩く」みたいなことだったんだと思います。歩いて行って、腰掛けて、いっしょにおやつ食べる…みたいな。
W : それは聞いていながらも、どうしても玄関の段差のハードルが高く、なかなか外出機会もつくれなくてそこはもどかしさも感じていつつ、そのあたりは往診医や看護側の情報とご本人とご家族の気持ちのバランスみながらチームの中でも話はしてましたよねー
S : 日々の中では自宅浴室でシャワー浴びてさっぱりして、お母さんがつくってくれる料理を食べられて、家族といっしょに過ごせて…あ、盆栽も買って手入れしてましたよね?なんかそういう1つ1つ重ねてはいましたけど、歩いていくことは難しくても近所の神社には思い入れもあるのは聞いていたのでそこにはなんとか行けるようにしたいよねって話はずっとしてましたね。
N : でも、あのー、父が亡くなる1週間前ですかね。あの日、外出させてもらえて、母と父が並んで社を眺めたり、横に並んで話をしている姿をみて本当によかったと思っていますし、実際そのときの写真や動画を撮っていたんですけど、母はずっとその時の動画を毎日観て涙してるんです。本当によかったです。(↓の写真)

正解のないその人の暮らしを支援する難しさ
W : 「現場って、削られることも多いし、疲れることもあるんですよね。でも、その中で“癒されてる”んですよね。だから、続けられているんです。「あるときはご本人やご家族の笑顔を見れたとき、またあるときにはそんな辛い話をしてくれたことやどうしようもない気持ちぶつけてくれたとき、とかそれぞれのタイミングはあるんですけど“本当に関われてよかった”って思うときもある。でも同時に『本当にあれでよかったのか』って、自問もしてるんですよねー。 だからこそ、こうしてご家族と振り返る時間があるって、本当に貴重なんです」」
S「僕たちって、常に“これで良かったんだろうか”って思いながらやってるんですね。 もし『これで完璧だった!』って思ってしまったら、その瞬間に終わりが来るような気がして。自分たちの“良かれと思って”が、時に“押し付け”になっていないか――その怖さは、常にあるんです。」
N : そうなんですね。そういう風に思っているってはじめて知りました。もう私たちは、すごくよくしてもらったっていう気持ちしかなかったので。
W:だからこそ、どんな場面でも“この人はどう生きてきたんだろう” “どんなふうに悩んできたんだろう”って、一緒に考える姿勢が大事というか、それしかできなんですよね。このチームでは、少し大げさに言うと、それが“当たり前”のようにできてた。でも……それが世の中の“当たり前”じゃないってことも、忘れちゃいけないんですよね。
N : で、そこからまたその始まっていくんですけど…。 すごい大事な局面で、なにかそれを言葉にして言うわけではないんだけど、「その用意はしてあります」みたいな感じでそこにいてくださっている感じがしたので、私はその中で、いろんなことで動いたり、動いてみて考えて..っできたのかなって思ったりしていて。

W: そういう風に私は聞いてもいましたし、末武や他のチームスタッフにも伝えてましたし、ご自宅での8mmフィルムの上映会もお手伝いさせてもらったり、でホントにありがたい言葉をいただいています。すごくありがたいし、うちの看護師やリハビリスタッフもその言葉やサービス介入後にまた会ってお話できること自体に救われますんで、こちらこそ感謝なんです。
S:ホントそうです。私たち自身もこれが「正解だった」とも思ってないんですよね、悪い意味ではなくて。「もっとこうできたんじゃないか」「あのときアレでよかったのか」ってずーっと持ちながら考え、動いているので。
N : そうなんですね。なんか私たちが気づいていないところですごく考えてくださってるんですねー。
ちょっとした相談からはじまった今回のはじまりから、救急搬送されて「自宅に戻る」選択をし、再び医療・介護制度のサービスとしての関係性がはじまる。そして、自宅でのお看取りとその後も続く関わり。そして、まちの中で会ったり、「たまれ万博」やフラスタのイベントでもお会いしたり…。
次回「後編」は果たしてどんな話になるのか、ならぬのか。