フラットインタビュー vol.7 LIC訪問看護リハビリステーション 黒沢さん(中編)

VOICE

「LIC訪問看護リハビリステーション」の所長でもある看護師の黒沢勝彦さんのインタビューも中編!前編は、医療の世界に入るちょい前から看護師として経験した大きな2つのエピソードの話も聞けて、看護師としての部分と合わせて黒さんのキャラや信念みたいな部分も見えた気がしています、中編では、職場環境も変わっていく中で「救命」で感じたことから、「なんで訪問看護に来たの?」ってところくらいまでが伺えたらと思ってます!

「救命」の現場へ

 – 私が黒さんのことを知るところで大きいのって「救命」にいた部分なんすけど…、前編のがん看護のところからってどうやってつながるんすか??

黒:はいはい。がん看護のところでは、化学療法認定看護師の試験に落ちて…みたいなこともあるんですけど、そのときに環境や年齢とこの先のことを考えたときに、やっぱりまだまだ知らないことが多すぎて、単科(外科)だけではなく、内科的なとこや脳神経外科的なとこも見られるのはこのタイミングかなーと思って。ってなるとICU(集中治療室)か救命かな、ってなって。やっぱり前編で話した2つのエピソードがすごく大きかったんだと思います。

 – なるほどっすね。
私も医療職ではないので素人的な質問になっちゃうんですけど、「救命」ってそもそもどんなところなんすかね?黒さんが感じてるところで。っていうのが、私みたいな一般の人が目にする「救命」の感じってメディアで見るところが大きくなっちゃうけど実際とは差があるであろうと…

黒:そうですねー。僕の意見だとやっぱり切り取られているんですよね、メディアでは。もっともっと大事なところとかスポットを当てた方がいいところってたくさんあるけど、実際スポットがあたっているのは「医療者はこの過酷な状況の中で生命を救おうとして頑張っている」的なところがでてくる。それはそうだけど、そこは当たり前の話で、粛々とやってるよ、っていう気持ちですね。「救急車きた!」「ドクターヘリ来た!」みたいなワクワクさせる的な感じだったり、「いのちとはなんでしょう」「家族はどういう気持ちだったのか」とか、むしろこっちの方が価値があると思っているけど「寂しいよね」「切ないよね」ってことで終わらせてしまっているようにみえる部分は違和感はあって。で、それはなんでかっていったら、「命は救われたけど、その人は社会復帰してないんじゃない??」っていう人は山ほどいるのに。そこは伝えられていないってところとかも感じちゃうんですよね。医療従事者だからそう思ったんですけどね。

 – でも、そうすよね。私たち一般人というか一視聴者からしたら、「助かる命が救えた」っていう不幸も最大化せずに止められたとは思うすんですよね。でも確かに、そのあとの時間軸だったり、家族の視点みたいなことは、同じようにはフォーカスされてないっていうか現場の人しか知らないっていうか…

黒:結局、救命救急に従事してる人ってジレンマがずっとあると思うんですよ。
例えばですけど、高齢者救急って部分が増えてきてるんですよね、首都圏では特に。90歳の人が救急に運ばれてきて挿管されて…みたいなことも増えてきてるんですよね、実際。もちろんそれは粛々として行えわれるんですけど。そういう状況にフォーカスした「人生100年時代」のシリーズが NHKでやっていたんですけど、そういう部分も映像としてだしてくれていたんですよね。
最近だとACPって言葉が市民権を得てきていて、あのポスターでも話題になったすけど、これからはそういうものと結びつけて、「いのちを救う」とは何か?みたいなこと考えていかなきゃい時代にはなっていくんだろうな、とは思ってます。

 

向き合い続ける中で、違和感から疑問へ

 – 人も救急車も設備もそもそも限られていて..ってことがよくも悪くも、コロナの状況で可視化された部分があると思っていて、「救急搬送される/されない」とかってコロナ以前では、体感値としては当事者以外ってなかったと思うんすよ。当たり前に何かを捨てなければいけないっていう状況、それがいいとか悪いとかって議論ではなく、そういう状況になったと思っていて、それって黒さんが救命にいて、目の前の現場でコミットしているけど、「その分、こっちはどうすんねん??」って、黒さんや医療者が救急で思っていたようなことが、一般の私たちの暮らしに近い位置でおきたんだなっていうような感覚なのかなって。

黒:めっちゃそうだと思ってます。
コロナの前って体感値としては全然なくて、今後2040年にむけて日本は、世界でも人口減少が著しいって社会で
「未来の年表」って本にも書かれてるんですけど、最終的に身近なところでなにが起きるかってわかりやすいところでいうと「救急車を呼んでも来ない」っていうことが起こるよって書かれているんですよね。
だいたい都内だと平均10-12分くらいで救急車がくるんですけど、人口減少が進むと、担い手が減るし、高齢人口が増えるから、救急車が来ないって言われていたけど、コロナの状況になって本当に来ないし、きても搬送先がないってことが起きてたんですよね。

– インフラ側のことを考えざるをえなくなったというか…
FLAT STAND 自体のことでいうと、今まで「医療」「福祉」のことをあまり全面的にはださないスタンスでいたんですけど、もうこの状況だったらってことで「医療職や現場で働く人の応援」みたいなことや「マスクや防護服の募集!」みたいなことをやったりしていく中で、ふつーに暮らしている人と医療が近くなったというか、関係性が変わったとかいうか…こっからどうやって変わっていくのか、限られたものをどうつかうのかって視点でいくのか。
今だとそれに気づけるような時代感もあるけど、黒さんは「呼ばれてからの勝負ではないところに行こう」とした、みたいな感じもあるんですよね??

黒:そこはそれぞれの立場で違和感を持っている人が多いとは思うし、私は救急にいながらいくつかのエピソードに違和感を感じていたんですけど。
ほぼ毎日のようにあることなんですけど、「搬送されて24時間以内に死亡したら検死になる」んですよね。
例えば、じいちゃんばあちゃんと暮らしていて、自宅に帰ってきたら息をしていなかったって時に救急車を呼んだら、老衰だったとしても検死になるんですよね。で、事件性がないケースに関してはほぼ100%で、家族は「え?なんで警察にいくんですか??」みたいな話になるんですよね、ほぼ毎日。それを説明している自分が、「これ、困る人めっちゃいるし、なんで亡くなった人が警察行くんだろう」って心の中ではなんか思っていたし。
あとは運ばれる状況なんですけど、病院の霊安室から警察に行く時に、ほぼドラマで見るようなシートを被されて運ばれていく…みたいな光景がそこにはあって、きっと本人も家族もそんなことは望んでないと思うんすよね。

 – 実際のとこ、フィジカルとして、病院から警察が連れて行く感じってこと?

黒:そうす。
医者や看護師から家族に説明をして…っていうにが毎日のようにあって。
その光景って、ドラマとかでもあるような急に制服着た人たちが引き取りにきてシートをかぶせられて連れていかれて…それって家族も望んでいないだろうし、本人だってもちろん望んでいないだろうし。

 – なんかウィッグの方の件とかも、今聞いたの救命の現場で起きていることも、医療との関わり方の部分でいうと共通する部分があるのかな、と思って、
急に医療にアクセスしなきゃいけなくなって…、で結果として、望んでいたかどうかわからない。むしろ望んでいなかったんじゃないかってなる。それを知っていたら選択が変わっていたかもしれないし、知っていてもそうなってしまうっていうなんでこうなっちゃうんだろう:っていうブラックボックスがあった、みたいな感じていたのかな、2つの事例を聞きながら思ったんすけど…

黒:そうだと思います。これって、僕だけじゃないと思うんすよね、看護師に限らず。
「家族がこういう風にしてあげた方が自分が安心だ」「そのままの状況にしておくのは悪だ」っていう価値観で判断をしているように思えたんですけど、やっぱりそのときの状況によって変わると思うんですよね。だから、昔はわからなかったんですけど、「救急の処置をしてください」って言ったことは間違いではないし、そのときの状況で判断が変わることもあるよなと思える。でも、そういうときでも、家族が「このままで、かかりつけの病院に運んでください」って言えたりできるような状況にならないのかなーって、誰がそれはサポートするんだろうって。そこに近くにいられるのは看護師の役割だろうな、と。
だから、家族は「あのときああでよかったのかな」っていう思いがずーっと残るだろうし。それをゼロにはできないけど、なので救急車で搬送する/しないってことだけじゃなく考えたり振り返ったりできることに意味があるんだろうな、と在宅にきて確信しているというか。

医療従事者と目の前の人の暮らしとの関係

黒:この間見た光景っていいなというか、僕の中では意外につながっていてFLAT STAND隣の八百屋のjimonoに野菜を買いに来たお婆ちゃんがそこにいる管理栄養士と話しながら献立を決めながら買うものを決めている、それに医療者が付き添うっていう、あの感じがすごくいいなぁって思ったんですよね。
自分の中ではすごく一緒だなっていう風にとらえていて、比較的適切な情報を得られる状態っていうのが。
専門家が適切なタイミングで適切な人につながっているような状況ができたらそれはいいよね。でもそれて難しいことなんですけど。普段の過ごし方と専門家の接点でどこでできるんだとろうな、って。

 – なるほど。
ちょっと改めて素人的に聞きたいんですけど、救命のところの話をもっかい聞きたいんずけど
基本的に究明のときって気持ち的にはOFFってないともたないんじゃないかな?って思ってるんですけど。

黒:オフはあると思う。あるんですけど…言ってしまえば
話せる状態ではない人に、「どうします?」って選択を迫るってことはないじゃないですか。マズローの欲求の段階のの話で、生命の危機に直面している人にはそもそも選択の余地はない。そこに医療サービスとして向き合うときには曖昧さはほぼないじゃないですか。血が出てます、どうする?じゃなくて止めるっすよね、とりあえず。だから、 役割として粛々とできるし。でも、ら家族に説明をしなければならない、みたいなときにこのGAPというかフェーズの異なる場面の行ったり来たりするって部分はありますよね。

 – スイッチングめっちゃつらくない?

黒:その状況で外に出て説明するんではなくて、オペ室に読んでその場で話をするんすよ。
で、それだけならいんですけど、そんな状況の中でコールは鳴るんすよ。切り替えながら、人員配置しながら、説明もしながら…

 – で、そんな中で、不幸のぶつかりあいが起きていて…
この人は警察に引き渡しになっていくんであろうという気持ちと、目の前の人にかけたい時間と労力をかけきれずに….って。そうなると、救急車が病院に来る前になんかしないとってなるわけですよね。

黒:そうですね、救急車の適正利用みたいなことにつながっていくんですけど。
今だったら、サービスの質とか医療アクセスに関わることを整備するだけでは救急車が減るとか、不幸は減らせないし変えられないんじゃないかって思えるけど、そのときには「なんか違うんじゃないか」「違う方法があんるんじゃないか」くらいしか思えてなかったすよね。

中編の今回は、救命救急に勤務しているときの黒沢さんの葛藤含めた状況と、どんな思いで在宅の現場に出てこようと思ったのか、って部分に触れられた気がします。後編では、現在大学院にも通っている黒沢さんは在宅で何を感じて、これからのことをどう考えているのかって未来のことにも触れていけたらいいなぁと思っております。

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『the town stand FLAT (FLAT STAND)』
2016.6月にOPENしたコーヒースタンドとコミュニティスペース機能をMIXした「まちのセカンドリビング」を目指したコミュニティカフェ。まちに暮らす人が1杯のコーヒーやワークショップなどのイベントを通じて、人やコトに出会い、関係性をつくり育んでいくための出入り口の役割を担うべく、さまざまなな活動を展開中。
運営は、訪問看護ステーション/居宅介護支援事業所を運営する株式会社シンクハピネス

フラットインタビュー vol.7 LIC訪問看護リハビリステーション 黒沢さん(前編)
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