フラットインタビュー vo.6 ズッコロッカ みずぴー(後編)

VOICE

中編はみずぴーの図工の先生として学校の中ではどんな感じだったのか、学校から外に活動を広げていく中でズッコロッカとして場を持つに至るまでのプロセスがすこーしだけ垣間見えましたかね??後編の今回は、ズッコロッカについてもう少し掘り下げつつ、みずぴーが考える「図工って?」ってどんなものかを聞いていきたいと思います!!そして、これからどんな感じで広がりをみせるのか、この先のことについても聞いてみます!!

ズッコロッカって名前とロゴについて

-名前の由来ってなんでしたっけ?

水P:もともと私が尊敬していた陶芸の先生がいて、その方が造形教室をやろうかな、って思ってたみたいで私も教員を辞めて手伝おうかな、みたいな話もしてたんだけど、少し遠い場所に移住することになってやらなくなってしまって。それで、その時に耳にした名前がずっと心に残っていてね。このタイミングで使わせてもらってもいいですか?って聞いたら「水野さんなら是非使って!」って言ってくれて。今もSNSで見てくれていて、ズッコロッカがこんなに大きくなるなんて思わなかったよーって喜んでくれてるんだよね。

-もうそれくらい前からずっとズッコロッカが頭に残っていたんだね。今まで出会った何よりもはまってたんだもんね、きっと。

水P:そう。それでそれをひらがなにするのか、カタカナにするのか、ローマ字にするのかもすごく悩んだんだよ。

-それがなんで今のカタチにおさまったの?

水P:もともとその先生が考えていたのはzukorokka(ズコロッカ)だったんだけど、響きもいい感じで「っ」もいれて、「kをc」にした方がかわいいし馴染みやすいなと思ってzucco roccaにしたんだけど、今度は、アルファベットだとこどもが読みないし、すごく覚えて欲しい名前だったから、響きもよくて、誰かが口ずさんじゃう感じで、こどもでも大人でも簡単に読めるってなったときに、平仮名かなって思ったんだけど、カタカナで書いた時の方がしっくりきてたんだよね、はねる感じがして。なんかまるっこ過ぎないし、いろんな道具の感じもするし、音の感じももするし、いいなぁって。

もうロゴで語れるもんね、かなり。FLAT STANDもそうだけどやっぱり名前とロゴってめっちゃ大事じゃない?っぱりフロントにくるし、背負ってる想いが強い分、ロゴも想いが乗っかってないとやっぱりキツイってなるし。なんかオレはもうあのロゴって静止画でみても、なんかもう動き出して音がなってる感じで。こども達があそんでる風景が浮かんでくるもんね、もはや。

水P:へー。それって大切だねー、すごい。それはロゴをつくってくれた人にも感謝だなぁ。ロゴを作ってくれたのは、私の友達でデザインを仕事にしている方で、ズッコロッカができる前からたくさん私の想いを聞いてくれて、そんな素敵な場所をつくろうとしてるならロゴのデザインやりたいって引き受けてくれたんです。だからズッコロッカには色んな人の思いや想いがたくさん詰まっているんです。

 

みずぴーが考える「図工」ってどういうこと??

– 最後にみずぴーが大切にしていることを聞きたいなぁって思っているんですけど、図工っていうものをみぴぴーがどういう風にとらえているのかってすごく興味があって。「図工ってなに?」ってオレはあんまり説明できないんだけど、図工って言われて思い浮かべることって自分みたいな教育を受けている人って、それこぞキットを組み立てたり、こういうのを作ろうって思うんだけど、図工的な考え方とか生きていき方って全部に関わることだと思っていて、人をつくっていくうえですごい大きい要素で、何か気持ちが動いたり、自分を発見したり何かに気づいたりすることが図工の本質みたいなとこになるんだろうな、とは思っていて。

水P:。私もその通りだと思っています。

 -…。笑。表現するうえで、それが形だったり、なんだったりするけど、それを日本では「図工」っていうことが1つなんだろうけど、それを解釈して、ズッコロッカがすべてを含んでいるのかな、っていう風に勝手に解釈して

水P:そんな感じです。笑
図工って、一言で言うと「自分をつくる時間」かな〜って思っています。絵を描くことや何か作ることはその一つの手段(きっかけ)であって、「わたしをつくる、ぼくをつくる時間」それは自分のいいなぁって思ったもの・感じたことを表現する時間であって自分探しや自分を発見する時間でもあるだろうな〜って思っています。それぞれが悩んだり、考えたり、自分の物語があって、それが作品になっていくわけで。だから、そのときに絵で描くのか、立体物であるのかっていうのは手段であってその過程を大切にしたいなっていつも考えています。自分が何を表現したいかって、それ自体が自分じゃないですか。だからそれには間違いがないし、答えがないし、表現したこと全てが自分自身だから、自分をつくっていく授業なんだよって子どもたちには伝えています。だから、さっき和田さんが言っていたことはそのままなんじゃないかなーと思うのですー。
よく大人は結果だけを見て、なにその汚い色ー!とか汚い手!とか言うのを耳にするんですよね。

-大人は言っちゃうからねー

水P:でも、その混ざり合うタイミングで何を感じていたかが大切だから、その過程がすごく大切!そこで最初に赤出して、黄色だして、最後に緑出して、混り合ったらこの色になったんだけど、そこでその色をだしたかったっていうのは想いがあって、これにはもうちょっと暗っぽい色を混ぜたら綺麗になるんじゃないかって思ったから出したりしてその色ができて、その段階がその子にとってすごく学びがあっていい時間なわけだから私は全部を褒めてあげたいなって思うんだよね。

-めちゃめちゃそう思うねー

水P:だから、けなすところもないし、怒るところもないし、すべてがいいんだよね。だからそれをこどもたちに伝えるようにしていて、そうするとこどもたちも「図工って楽しい」って思ってくれるし、「なんか自分が表現できる場所だな」って思ってくれたり、「ここだったら自由に、自分の思ったことを表現していいんだ」って思ってくれたり。もしかしたら、他の授業では周りの子のことを考えて答えをださなきゃいけないこともあるかもしれないし、学級会ではいろんな意見があって「自分だったらどっちかな」って考える時間もあるだろうし、そうじゃなくて「自分の考えってこうなんだ」って率直に表現できれば、言葉で表現が苦手な子でも、絵とかカタチとか色とかで表現できる時間だったらいいんじゃないかな。

-その、表現できる環境とかってすごく大事だと思って。図工の時間だけで、それが完結できないから、みずぴーはそれ以外の時間の大事さを感じていて、だからこそその子らしさをちょっと知れたり、より知れたりすることで、声のかけかたがよ心地よくなったり、より見ていてくれてるって安心感につながったり、そんな風にみずぴーが学校でそういう風にしてたんだろうなって思い浮かぶもんね。

水P:思い浮かんじゃった?

-そういうのって大事だよ、ってみんな言うじゃない。でもそれができてるかっていうとやっぱり難しくて、でもみずぴーの話を聞いてるとそこに嘘がないんだよね、たぶん。それはすごい感じるなー。

水P:それをこどもが身体で感じてくれてたらいいなぁ。別に大人にどう思われようとかじゃなくて、こどもが「楽しかったなぁ」「またやりたいなぁ」って思ってくれたら、結果としておうちの人がそれをみて「あ、うちの子たのしんでるんな」って思ってくれるだろうから、そこでモノができなくても汚い色になっちゃっても、図工のよさに知ってくれるんじゃないかなって思ってて。
学校によっては、綺麗な同じような作品がばぁって並ぶところもあるんだけど、それってなんのためにやってるのあ?っていったらおうちの人に褒めてもらうため、「いい子だね」って言ってもらうためだったりしちゃうんだよね。

-すごくわかる。オレ自身がそうだったから。親に褒められたり、世間的にああだこうだ言われない作品とか成果物をつくってきちゃっていたから後悔してるし。そういうのって、そうやっちゃっていいんだって環境が準備されていないとなかなか人ってそこには出せないし、出しても結局ああだこうだ言われちゃう世の中じゃない、実際は。そこに思い切って自分のやりたいようにやっていいんだって思える環境があることってめちゃくちゃ大事だと思ってて。だから、FLAT STANDやたまれ界隈ではふざけたな大人がいっぱいいればいいと思ってるし、ちゃんとした大人なんてそんないないし、「あの人あれできるからすごいね。でもあれはできないけどね。でもそれでいいじゃん!」って感じで個性がでてくるといつのまにか多様になってると思うんだよね。
で、みずぴーはこどもたちと同じような視線でいるんだろうな、って思えるのは、ある程度意図的な部分もあるんだろうけど、すごく自然にできてるんだろうなって感じるんだけどどうなの?

水P:うーん。なんかねー、大人になりきれてないんだろうな。
どっちなんだろう。でも、素で楽しめてるからなんだろうなぁ。

こどもと同じ目線で、フラットな関係

-もちろんどっちもあるんだろうけど、「みずぴー、ちゃんとやんなよー」とか言われてるじゃん、こどもたちから。そういうの含めて、そこにいるこどもたちの安心感というか、そこにみずぴーがいるから成り立ってる空気感ってあるんだよね。

水P::大人って大きい人って書くくらいでこういう感じ(腕を組み仕草)ってあるじゃないですか。「大人はなんでもできて、こどもはこれから、、、」みたいなところがあるけど、私はそうは思ってなくてフラットだと思っていて。「こどもも大人もできること違うよ」「この子はこれができて、大人はこれができて、お互いできることあるよね」って視点なんですよ。だから「大人って君より上じゃないよ」っていうのもこどもにはずっと伝え続けたくて。先生ってどうしても先生になっちゃうじゃないですか。先生ってそんな偉くないし。でも教壇にあがると上からになっちゃうし。こどもに目線からみてもなんか嫌じゃないなかぁって思うの。「そういうことじゃないのに、なんで大人ってそういう風に思うんだろ」ってなっちゃうし、だから学校ではいつもこういう風に言われちゃってるなぁって子に、あえて違うことをを言ってあげることで「何この先生。違うこと言ってきた。」っていう風になると親近感ももってくれるかもしれないし。いつでもこどもたちとフラットでいたいと思ってるし、同じ目線でいられるようには意識してるかもしれないけど、でも一緒に楽しんじゃってるんだよね。

-うちの立場(医療や福祉)だと、ケアする/ケアされるみたいなのがあるんだけど。する/されるの関係じゃなくて、ケアしながらケアされているっていうことがすごくあるんだけど、フレーム上はサービスを提供する/されるになっちゃってるんだけど。お互いに教えてもらえることってすごくあるじゃない?こどもたちからも。なんかそういうスタンスで自然をいられるのって難しくて、オレの場合はそういうことを意識しながら「やばいやばい」って立ちかえったりするけど、みずぴーは自然体でそれができてるんだろうな、って思うよね。どこかで意識してる部分はあるんだろうけど、無理がなくて、すごくニュートラルなんだよね。

水P:たぶんそれは、自分でも嫌だから。「君はできていいよね。僕はできないけど」ってそうじゃなくて、 「いっしょにやってみよっか」みたいな。「あ、できたね!」「すごい、そこできたんだ?私はこっちはできないよ」みたいなことがいっぱいあって、「ちょっとそれ教えてよー」っていうこともたくさんあって。
もし、本当はできるけどできないフリすることもあるけど、「ちょっとここの結び方教えて」とかいうこともあるし、私も「いいよ、こここんな風にやるんだよ」って教えてあげることもあるし。

-それはもちろんあるよね。最初の一歩だけ背中を押してあげるだけで、そこだけ入っちゃえば、さっきまでモゾモゾしてた子がうるさいくらいにしゃべる子もいるじゃない?そんな感じなんだろうな。

水P:で、「できるんだ!」て感じの子もいるじゃない。「あ、このこすごく強がってるな」って思いながら、まずは「その気にさせてあげよう」ってまず思うの。でも途中で、「できない」って場面もつくってあげることで「あ、僕もできないことあるんだ」ってことも思わせてあげないと、「お家ではそういう場面ないんだなぁ」って思うと、だからそういう場面をところどころつくってあげるの。

– わかるわかる!大怪我じゃないところでね。社会にでると急にボキッて折られちゃうじゃない。

水P:そうそう。だから、その前に「やっぱり他の人が必要なんだ」って思ったり、友達にちょっと手伝ってもらうことで自分はできるようになったり。

– その方が楽しいよね、って思うのも図工の大事なことだよね。

水P::私そのものだから、そうやって人と何かをするって。私ができないことをその人がやってたり、いっしょにやることでもっと楽しいことが生まれてるから。

-そのものなんだよね、やっぱ。嘘がないんだよねー。

水P::ズッコロッカ ていう場所も、私とシイナさんはもちろんいるんだけど、みんなでつくっていける場所にしたいな〜って最初から思ってるんだ。「ぼくやるよ」「私もやるよ」って世代交代じゃないけど、そうやってみんなでつくり続けていける場所だったら持続可能でいいなぁって。私やシイナさんがいないんだけど、なんか開いてるって感じ。

-なんかそれでも「ズッコっぽいよね」って言われるのってなんかすごく気持ちいいよね。フラスタもそういう部分を目指している部分もあって。でもズッコに来てくれてる人ってズッコが好きできてる人たちだから、そういう人たちでつくる場所だったら結果として「ズッコっぽい」感じになるんだろうなぁとは思ってる。

水P:教え子だったり、ここに来てくれている子たちが「今日私がみてるから」とかいって支えててくれたり、そういう風にやってもいいな、って思ってもいるし。変化し続ける予測できない場であり続けてほしいなって。

-近いうちにそういう風にはなりそうだけどね。もちろん、その過程の中でストレスはもちろんあるだろうけど、それも含めて、図工の考え方で。なんかすごく長くなっちゃったんだけど、今日はありがとうございました!!

 

普段は「楽しそうにやってるなぁ」っていう部分がどうしても目につくし、そこが取り上げられたりすることも多いんですけど、その中にある想いやその本質的な部分をなんとなく理解はしているつもりだったけど、改めて話を聞かせてもらったり、こちらも話したりすることで、たくさんの気づきや理解を深めることができるいい時間でした。文章はもっと削るつもりでいたんですけど(これでも削っている)、どれも話につながりがあったし、普段あまりこういう話って見にすることもなかったりすると思うので、できるだけ温度感をそぎ落とさない感じでテキストにしてみました。なんか、1人でも多くの人が、みずぴーの考えている「図工」的な考え方に触れてもらえたらいいなぁと改めて思いました。
なので最後に、もっとちゃんとした記事のURLも貼り付けておきますので、興味が湧いたりしたら是非そちらも覗いてみてください!ズッコロッカのことがしっかりでてます!!!

https://www.storyis-maruman.com/

 

 

フラットインタビュー vo.6 ズッコロッカ みずぴー(前編)
フラットインタビュー vol.6 ズッコロッカ みずぴー(中編)

 

Written by デリしげ