大学の卒論を映像で。しかも「たまれ」を題材に。
学生の卒業制作のフィールドに
まずはS田さんの卒業制作の映像の紹介。どれくらいの期間をかけて制作してくれたかなー。半年?いや、もう少し長い気がする。取材やインタビュー、映像にしているだけで8時間とか…。こんな「たまれ」っていうよくわからないところをテーマにしてしまい大変だったんじゃないかなーと。
管理人はまた小姑みたいなことを言ってみたりもするわけで、まぁ面倒くさいところをフィールドに選んじゃいましたよねー。でかれこれ半年以上の時間をかけて「たまれ」に関わり、探り、考え、まとめてくれたわけです!!
関係者への発表の場
「完成しました」と連絡をもらい、発表の場を設けることに。プチ上映会。
インタビューでご協力いただいた方に声をかけ、実際にできあがりホヤホヤの映像になります!
S田さん、緊張感ありそうですね(写真)。
改めて、この映像をつくるにあたっての背景や目的なども説明をしたうえで、20分くらいかな ??集まったメンバーでみていきます。こういうメンバーで集まるって意外かもしれないですけど、ないんですよねー。それぞれに活動日があったり、バタバタ動きまわっているもんで…
日程は2日間にわけて別グループにはなりますがそれぞれに開催。
メンバーも反応ももちろんそれぞれ。普段は見ない表情や思っていることが一部映像化されているわけでなんか新鮮っ。「たまれ」って名乗りはじめて1.5-2年くらい??明確な定義はないし、なにか特別な枠もないわけで…。そして何か答えが提示されるわけでもないし、でもS田さんがこの時点で感じたことは言語化や映像化されています。
「たまれ」内でもみんなでいっしょにみる場も
とあるPOSSEでの交流会的な場面で、ちょっと流してみましたー
あ、別になにか「こういう反応があったらいいなぁ」とかそういうのはないし、結局その回収もしていないのが実態です。近い距離で卒業制作っていう触れ方もあるだろうし、「たまれ」のおっさんがなんか映像流してるなーって感じかもしれないし、そもそも記憶にも残らないかもしれないし…それも回収していないです。
それでもやっぱり自分の時間を少なくとも「たまれ」と呼ばれる場所で過ごしていて、であれば「たまれ」ってこういうことのなのかなぁとか、ここに関わる人が自分が普段みている一面以外だったり、イメージと違う一面をみてみたり…そんなことはあってもいいのかなぁと。結果は回収してないんですけどねー
「たまれ」の説明責任
「たまれ」ってわかりにくいんですよね。大きく理由は2つあると思っていて、1つ目が私たちの説明責任が果たせていないこと。「まぁわからないよね」的な諦めだったり怠慢だったりで問いに対しての説明を果たしきれていないなぁというのは日々感じています。言い訳を1つだけしておくと説明をしたくないって思っているわけではなく、「そもそもなぜこんなことをしているのか。なぜこんなことをはじめたのか。日々何を大切にしているのか。また、何はしないのか。….」みたいなことを6年経過したものを説明していくこと自体が結構難易度が高く、細かく説明したところでそもそも質問主の興味があることとは限らない、みたいなことが日常的にも多々あったりします。となると、それぞれが投げかけてくれる問いをベースに必要な量を可能な範囲でお応えしていく、っていうような流れになりがちなんですよね。
で、2つ目は、そもそも正解や統一された全体のデザインみたいなものはなかったりするのでわかりにくい、または私たち自身も全てを理解していない中で進めているっていう現状に起因しているってとこですかね。そんなこんなもあるので、私たち(内部)側からの説明よりも、いい意味で外部からの視点で切り取ってもらえることはすごく意味があるし、わたしたちにも学びをもたらしてくれる。そして、今回は「わかりやすい」っていう入り口として役割を果たしてくれていたなーと感じています。
興味をもつ余所者(いい意味)が意味づけをしてくれる
いつだって、固定的な場所や地域に、意味づけや価値をつけてくれたり、また新しい風や考えを持ち込んでくれたりしてくれるのは余所者だったりしますよね。特に、すごーくオープンな場所ではない「たまれ」も常にそういったノイズを含めた刺激はいれなきゃなーと思ってます。でも、なかなかフルオープンとはいかないわけで…
だから今回もすごく新鮮だったし、もちろんノンストレスかっていえばそうではない(それは双方)とは思うし、だからこそいい経験をさせてもらえたし、いいものを残してもらいましたー。きっと今後、いろんな場面で紹介として流させてもらったり、またその頃の振り返りをする際に観たり…とさせてもらえたらと思いまーす!
S田さん、ありがとうございましたー!!